「伊福部マーチの元ネタ」を通して考えたい伊福部昭の「本当の個性」。


「すべての作品には元ネタがある。その元ネタにもまた、元ネタがある」
── Orient.R.Minesky

このテーマで記事を書いておこうと思った矢先、こんな記事が出回っていた。

ゴジラの音楽の原曲に見つかる!昭和23年の映画の音楽と類似? - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
ゴジラの名曲の作曲家の伊福部 昭さんが作曲に参加した昭和23年に公開の松竹映画「社長と女店員」のオープニングです。映画は、柳家金語楼と月丘夢路の主演のコメディ映...

1948年の松竹映画「社長と女店員」をゴジラの原曲とするこの記事は、間違っている。


▲第1作「ゴジラ」(1954年、東宝)メインタイトル。


▲「社長と女店員」メインタイトル。

「ドシラ、ドシラ」と繰り返す所謂「ゴジラのテーマ」、第1作「ゴジラ」では実は防衛隊のテーマとして扱われた楽曲であるが、伊福部はこの「ダダダ、ダダダ」と下降音型を繰り返すモチーフを実に様々な映画で使用した。「ゴジラのテーマ」とまったく同じ音型のものを「社長と女店員」や「炎の城」(1960年、東映)に、やや形の異なるものを「蜘蛛の街」(1950年、大映)や「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1962年、東宝)などに用いていた。

「ゴジラのテーマ」は、「社長と女店員」よりさらに遡ることができる。同作品と同じ1948年に完成・初演された純音楽作品「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」だ。これは作曲以後、1951年、1959年、1971年と幾度も改訂が加えられ(一説には1975年に更に手直しが加えられた)、現在は「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」というタイトルの楽曲となっている。これの第1楽章に、あの「ゴジラのテーマ」がほぼそのままの形で登場する1)もっとも、1948年の「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」は録音が残っておらず、どのような楽曲であったかは確認できない。


▲「協奏風狂詩曲」1971年版。井上道義指揮、小林武史のヴァイオリン独奏、東京交響楽団による演奏。動画では7分20秒頃から。本当は4分25秒頃から聴くと、なぜ「ゴジラ」が登場するのかが分かりやすい(繰り返し現れる上昇音型の反転として使われている)。この曲は第2楽章も良い(13分35秒頃から)。

なるほど、これが1948年に作曲され、同年の暮れに公開された「社長と女店員」にもモチーフが流用されたわけだ。伊福部は映画音楽に使う旋律を純音楽から流用する2)逆に、映画音楽に用いたモチーフを純音楽に転用することもあった。「二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ」がその一例。、別々の映画であっても共通する要素には同じ楽案を当てる3)「ドシラ、ドシラ」の音楽は、先述のとおり第1作「ゴジラ」においてはゴジラに立ち向かう人類側の音楽だった。「社長と女店員」には、デパートの社長の横暴さに店員たちが団結して立ち向かう、という要素がストーリーに組み込まれている。、という手法を多く取った。これこそが「ゴジラのテーマ」の原曲に違いない。伊福部ファンは長年にわたり、そう考えていた。

ところがどっこいころころの佐助稲荷、これにはさらに源流となる楽曲があった。1945年に満州国の依頼で作曲された管弦楽曲「管絃楽の爲の音詩『寒帯林』」だ。この曲の楽譜は戦後中国政府によって長らく封印されており、現在も一般人が目に触れることはできないのだが、最終稿の下書きのようなものが近年になって伊福部本人の遺品から発見された。それが弟子による校訂の後、2010年にオーケストラ・ニッポニカの手によって蘇演され、この楽曲の第3楽章「山神酒祭樂」に「ゴジラのテーマ」と同一モチーフが使われていたことが明らかになったのだ。


▲「寒帯林」動画では21分25秒頃から(抜粋)。本名徹次指揮、オーケストラ・ニッポニカによる演奏。この動画を頭からたどると、ゴジラに関係するモチーフの歴史を俯瞰できる。

そして、これまでの話をひっくり返すようだが、この「ゴジラのテーマ」には、そもそも元ネタとされている楽曲がある。モーリス・ラヴェルの「ピアノ協奏曲」(1931年)という、クラシック音楽では有名な楽曲の第3楽章だ。

「ゴジラのテーマ」がラヴェルの楽曲に似ているということはクラシックファンの間でもよく知られていて、それを意識してか、伊福部の楽曲とラヴェルのピアノ協奏曲を並べたプログラムの演奏会も度々行われている4)伊福部の愛弟子のひとりの黛敏郎は、「ゴジラのテーマ」がいつの間にかラヴェルのピアノ協奏曲になって終結するという楽曲を書き、師の叙勲祝として献呈している。収録CDはこちら。 

若い頃の伊福部はラヴェルのファンで、パリで行われたコンクールに「日本狂詩曲」(1935年)の楽譜を送ったのも、審査員の中にラヴェルの名があったからだった(もっとも、ラヴェルは病気でこの仕事から外れたのだが5)「日本狂詩曲」の楽譜は、コンクールの主催者アレクサンドル・チェレプニンによって出版された。前川公美夫・著『北海道音楽史』に引用された勝見義雄のエッセイによれば、伊福部は同曲の楽譜を国外においてはラヴェルやマリピエロなどに売ったと語っていたという。)。そんな背景もあるので、ラヴェルの楽曲との関わりを連想してしまうわけだ。


▲ラヴェル「ピアノ協奏曲」第3楽章、レナード・バーンスタイン指揮・ピアノ、フランス国立管弦楽団による演奏。

このように、源流をたどり続けると、「ゴジラのテーマ」はラヴェルに通ずると言えるのだけど、伊福部によれば、アイヌの古老が酒に酔って「ドシラ#ソ、ドシラ#ソ」と繰り返す歌を歌っているのをかつて聴いたのだという(日本とアイヌの素材をつなぎ合わせた管弦楽曲「土俗的三連画」(1937年)第3楽章にその旋律が再現されているが、「ゴジラのテーマ」からは少し遠い)。このモチーフは、様々な素材が伊福部本人の中でごった煮になった結果、出力されたものなのかもしれない。下降音型の単純な繰り返しであればブラームスの交響曲にも印象的な形で使われているし、ありふれたモチーフであるとも言える。

ただ、伊福部は、先述したヴァイオリン協奏曲や「寒帯林」の他にも、下降音型を繰り返すモチーフ(「ゴジラのテーマ」に近いが、やや形が異なるもの)を、映画音楽と同様に純音楽作品に幾度も使っていた。下記がその例だ。モチーフが独創的かどうかとか、創作の経緯とかはさておき、伊福部がああいう音型を好きだった、ということには違いないだろう。

  • 「土俗的三連画」第1楽章
  • 「交響譚詩」(1943年)
  • 「シンフォニア・タプカーラ」(1954年/1979年)第1楽章
  • 「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」(1961年/1969年/1971年)
  • 「ヴァイオリン協奏曲第2番」(1978年)

というわけで、伊福部昭の楽曲について、「これが原曲」と断言することはとても難しい。どこまでもどこまでも遡ることができるし、無数に枝分かれしていることもある。「ゴジラのテーマ」のように時折、他者の作品にぶち当たったりもする。

伊福部作品における「原曲」は不明であっても、明確な「元ネタ」が存在するものもある。

例えば東宝特撮映画ファンにはおなじみの、「メーサーマーチ」あるいは「L作戦マーチ」と呼ばれる楽曲。これも様々な映画に断片的に使われ、どれが原曲なのかははっきりしない。


▲メーサーマーチ。

この楽曲には、元ネタと明確に言える作品がある。オーストリアの作曲家、ロベルト・シュトルツによるダンスのための楽曲「Salome」(Op.355、1920年)だ。オスカー・ワイルドの戯曲でも有名なサロメを題材にした、洒落た小曲である。


▲ロベルト・シュトルツ「Salome」管弦楽版。演奏者不明。

開始早々、メーサーマーチに酷似した旋律が長々と聴こえてくる。この曲は、作曲後間もなくしてアメリカで歌詞をあてて歌われ、1920年代のうちには日本国内にも伝わり、浅草のショーで日本語詩によって歌われたりもしていた6)出典:researchmap「ロベルト・シュトルツ「ザロメ」の変容」。おそらく伊福部はこの楽曲をどこかで耳にしていたのだろう。

それからもうひとつ。伊福部が映画音楽の現場に復帰した1990年代の一連のゴジラ作品、いわゆる「平成VSシリーズ」の中から、平成期の全く新しい伊福部マーチとして人気を博した「Gフォースマーチ」。


▲Gフォースマーチ。

なんとこれにも元ネタがある。モデスト・ムソルグスキーによる未完成のオペラ「ソロチンスクの定期市」(1874~1881年頃)だ。4分の2拍子で8小節ぶん、旋律が酷似している。


▲ムソルグスキー「ソロチンスクの定期市」より、“ゴパック”。チョン・ミョンフン指揮、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団による演奏。動画では4分53秒頃から。

これらを踏まえると、「古典風軍楽『吉志舞』」や「怪獣大戦争マーチ」、「シン・ゴジラ」でも使われた「宇宙大戦争マーチ」などの「ドレミファミーソーレーソー」で始まるモチーフは、昔から伊福部ファンの間で囁かれていたように、イーゴリ・ストラヴィンスキー「パストラル」(1907年)が元ネタ、と言えるかもしれないし、防衛隊のテーマ≒ゴジラのテーマの源流をラヴェルのピアノ協奏曲に見るのも、自然なことかもしれない。


▲怪獣大戦争マーチ。


▲ストラヴィンスキー「パストラル」1933年版。演奏者不明。

もしかすると、ストラヴィンスキーの「パストラル」にはさらに元ネタがあるかもしれない。というのも、ストラヴィンスキーは、他所の素材を貪欲に引用し再構築する作曲家だったから。あの有名なバレエ音楽「ペトリューシュカ」(1911年)には当時の流行歌が無断で取り入れられていたし7)「ペトリューシュカ」の元ネタ曲はこちら。「ペトリューシュカ」では他にヨーゼフ・ランナーのワルツが2曲、引用されている。、同じくバレエ音楽「火の鳥」(1910年)もロシア民謡の旋律が使われている8)「王女たちのロンド」と「終曲」。どちらも元となった民謡がリムスキー=コルサコフ編「100のロシア民謡集」に組み込まれている。「王女たちのロンド」の元となった民謡は、リムスキー=コルサコフも「ロシアの主題によるシンフォニエッタ」(1879〜1894年)という楽曲にまとめている。。「春の祭典」(1913年)冒頭のファゴットの旋律にも元ネタがあった9)リトアニア民謡「婚礼の歌」がそれとされている。

もっとも、こういったように作曲家が素材を取り込んで再構築し作品を作り上げるというのは、クラシック音楽では珍しいことではない。伊福部も同様に、一部の作品において素材の引用・再構築を行い、意識して使い込んだ場合にはそれを明言していた10)例えば「ピアノ組曲」(1933年)≒「管絃楽のための日本組曲」(1991年)における青森の弘前ねぷたの引用や、映画音楽におけるロシアの労働歌「ドゥビノシュカ」の引用など。。だが、先に上げた事例は、生前のインタビューでは引用についての言及がまったくない。これらは本人も気付かぬうちに取り入れていたものなのではないだろうか。伊福部は弟子との宴席で「(自作の)タプカーラは、プロコフィエフの『キージェ中尉』に似ているんですよね」とぽろっと漏らしたこともある11)なんとその録音が市販されている 12)タプカーラは元々、伊福部が自作「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」(1941年)を解体して再構築した作品で、元の旋律はキージェ中尉とは似ていない。これは一種の「先祖返り」ではないかと見ている。。実際のところは、伊福部本人が逝去した今、確認するすべはないのだが。


▲「シンフォニア・タプカーラ」石井眞木指揮、新星日本交響楽団による演奏。


▲セルゲイ・プロコフィエフ「キージェ中尉」(1934年)より“ロマンス”。ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団による演奏。

伊福部はあるエッセイの中で「作品が、他の誰かに似ていると言われる以上の恥辱は無い」と書いていたが13)「藝術新潮」1952年7月号掲載「プロコフィエフ」。、一方で多くのインタビューで語っていたように、個性やオリジナリティ偏重の創作態度には批判的だった。

「現代は、作家がみな個性的であろうとするんですね。個性という言葉がばかに流行って、何でも個性的だと宣伝しています。でも、個性というのはそんなものではなくて、出そうと思って出せるものではない(中略)出さないと思っても困るんですけれど、個性を脱した状態で自然にしていて、初めて出てくるものなんですね」
相良侑亮・編「伊福部昭の宇宙」(音楽之友社)P.172 伊福部昭インタビューⅠより

ここからが肝心なのだけど、似ている作品とか元ネタとされる作品とかを聴き漁っても、確かに旋律は酷似しているものの、楽曲全体の印象として「伊福部っぽさ」が全然無い。伊福部昭というフィルターを通して出力されると、なぜかどれも一聴して伊福部作品と分かる程度に通底するものが出てくる。元ネタと似ているはずの旋律ですら、何か独特の匂いが立ち上って聴こえてくる。伊福部昭という作曲家の本当の個性とか創作の秘密というのは、そこにあるのではないか、と考えている。この点については、蒐集した膨大な量の資料の引用と再構築による創作を行っていた水木しげるにも通ずるものがある14)伊福部昭と水木しげるには共通項がいくつかある。ルーツは鳥取。伊福部はアイヌ、水木はラバウルのトライ族と交流、その体験を創作の原点の一つとし、多文化共生を理想とした。伝統的美意識の継承を伝統的でない手法で追求した。弟子をつけて商業作品を量産した。作風を確立させた後、それを死ぬまで頑として変えなかった。そして、2人とも長生きした。伊福部昭はSPレコードからネット音楽配信まで、水木しげるは紙芝居から電子書籍まで、メディアがドラスティックな変化を遂げた時代を駆け抜けていった。 15)水木が伊福部やストラヴィンスキーと大きく異なるのは、引用と再構築の現場を早くから公にしていたという点だ。水木プロダクションに入った雑誌の取材で、資料を模写するアシスタントの前に立ち、アシスタントに絵を描かせていることについて「私は映画監督なんです」というようなことを語ったこともある。彼もまた、オリジナリティに対するこだわりがなかったと言えるのかもしれない。水木しげるの「引用と再構築」については素晴らしいまとめがあるので、こちらをどうぞ→ Togetter「水木しげる絵の元ネタ」
「伊福部マーチ」に元ネタがある、というのはゴジラファンにとってはショッキングかもしれないが、それによって伊福部音楽の魅力が色褪せるということはないだろう。そっくりな楽曲が先行して存在する、という事実を踏まえた上で、伊福部昭の本当の個性とは何かを考えていく、そういう機会が増えればと思っている16)まあ、オスティナートの多用とか、ユニゾンへのこだわりとか、これまでも散々言及されてきたものが真っ先に挙げられるだろう。それともうひとつ、ラヴェルのピアノ協奏曲やアイヌの古老の歌がごった煮になって出力されてたとして、それが4+5拍子の変拍子の楽曲になるあたりが伊福部昭の変なところ(しかも子供が口ずさめるほど自然な変拍子曲)。

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1. もっとも、1948年の「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」は録音が残っておらず、どのような楽曲であったかは確認できない。
2. 逆に、映画音楽に用いたモチーフを純音楽に転用することもあった。「二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ」がその一例。
3. 「ドシラ、ドシラ」の音楽は、先述のとおり第1作「ゴジラ」においてはゴジラに立ち向かう人類側の音楽だった。「社長と女店員」には、デパートの社長の横暴さに店員たちが団結して立ち向かう、という要素がストーリーに組み込まれている。
4. 伊福部の愛弟子のひとりの黛敏郎は、「ゴジラのテーマ」がいつの間にかラヴェルのピアノ協奏曲になって終結するという楽曲を書き、師の叙勲祝として献呈している。収録CDはこちら。 
5. 「日本狂詩曲」の楽譜は、コンクールの主催者アレクサンドル・チェレプニンによって出版された。前川公美夫・著『北海道音楽史』に引用された勝見義雄のエッセイによれば、伊福部は同曲の楽譜を国外においてはラヴェルやマリピエロなどに売ったと語っていたという。
6. 出典:researchmap「ロベルト・シュトルツ「ザロメ」の変容」
7. 「ペトリューシュカ」の元ネタ曲はこちら。「ペトリューシュカ」では他にヨーゼフ・ランナーのワルツが2曲、引用されている。
8. 「王女たちのロンド」と「終曲」。どちらも元となった民謡がリムスキー=コルサコフ編「100のロシア民謡集」に組み込まれている。「王女たちのロンド」の元となった民謡は、リムスキー=コルサコフも「ロシアの主題によるシンフォニエッタ」(1879〜1894年)という楽曲にまとめている。
9. リトアニア民謡「婚礼の歌」がそれとされている。
10. 例えば「ピアノ組曲」(1933年)≒「管絃楽のための日本組曲」(1991年)における青森の弘前ねぷたの引用や、映画音楽におけるロシアの労働歌「ドゥビノシュカ」の引用など。
11. なんとその録音が市販されている
12. タプカーラは元々、伊福部が自作「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」(1941年)を解体して再構築した作品で、元の旋律はキージェ中尉とは似ていない。これは一種の「先祖返り」ではないかと見ている。
13. 「藝術新潮」1952年7月号掲載「プロコフィエフ」。
14. 伊福部昭と水木しげるには共通項がいくつかある。ルーツは鳥取。伊福部はアイヌ、水木はラバウルのトライ族と交流、その体験を創作の原点の一つとし、多文化共生を理想とした。伝統的美意識の継承を伝統的でない手法で追求した。弟子をつけて商業作品を量産した。作風を確立させた後、それを死ぬまで頑として変えなかった。そして、2人とも長生きした。伊福部昭はSPレコードからネット音楽配信まで、水木しげるは紙芝居から電子書籍まで、メディアがドラスティックな変化を遂げた時代を駆け抜けていった。
15. 水木が伊福部やストラヴィンスキーと大きく異なるのは、引用と再構築の現場を早くから公にしていたという点だ。水木プロダクションに入った雑誌の取材で、資料を模写するアシスタントの前に立ち、アシスタントに絵を描かせていることについて「私は映画監督なんです」というようなことを語ったこともある。彼もまた、オリジナリティに対するこだわりがなかったと言えるのかもしれない。水木しげるの「引用と再構築」については素晴らしいまとめがあるので、こちらをどうぞ→ Togetter「水木しげる絵の元ネタ」
16. まあ、オスティナートの多用とか、ユニゾンへのこだわりとか、これまでも散々言及されてきたものが真っ先に挙げられるだろう。それともうひとつ、ラヴェルのピアノ協奏曲やアイヌの古老の歌がごった煮になって出力されてたとして、それが4+5拍子の変拍子の楽曲になるあたりが伊福部昭の変なところ(しかも子供が口ずさめるほど自然な変拍子曲)。

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